今回の「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」は、“時間のズレ”を入口から最後まで握りしめてくる展覧会でした。テーマは「時間」です。しかし、時計の針みたいに単純じゃなくて、泡みたいに、選択肢みたいに、液体みたいに、いろんな形で「過ぎ去る」と「残る」を見せてくる展示でした。
『六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠』とは
「六本木クロッシング」は森美術館が3年に一度開催してきた、いまの日本の現代アートを“定点観測”するシリーズ展。第8回目となる今回は「時間」をテーマに、国籍を問わず日本で活動する/日本にルーツを持つアーティスト全21組の展示があります。
出展は絵画・彫刻・映像に限らず、工芸、手芸、ZINE、コミュニティプロジェクトまで射程に入っていて、100点超の多様な表現が一堂に会するのも六本木クロッシングらしさ。副題「時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」が示す“貴さと儚さ”を、作品同士の交差で体感できる構成です。
会期は2025/12/3〜2026/3/29、会期中無休。開館は基本10:00〜22:00(火曜は17:00まで)で、夜に観られる日が多いのがありがたい。チケットは日時指定制で、平日・休日で料金が変わります。
個人的に印象に残った作品
1点目:《水中の月》(A.A.Murakami)
まず、体ごと“時間の部屋”に沈められる感覚になったのがA.A.Murakami《水中の月》。暗い空間で、泡と水と光が、同じようで同じじゃないリズムを繰り返す没入型インスタレーションです。素材表記にカスタムロボティクス、泡、水、AIまで並んでいて面白いです。
ここで面白いのは、見ている側の“鑑賞の速度”が勝手に落ちていくことです。次の瞬間を待つ、ちょっと呼吸がそろう、余計な考えが一回消える。展示の解説でも、このインスタレーションが観客を包み込み、時間がゆっくり拡張され「今ここ」に没入する感覚を生む、と整理されていて、体験としてすごく腑に落ちました。
そしてタイトルの「水中の月」。掴めないのに、そこに“見えてしまう”もの。過ぎ去っていく一回性と、なぜか残る永遠性が、泡の儚さで同居してました。

2点目:《あなたをプレイするのはなに?― ありうる人生たちのゲーム》(木原 共)
次に刺さったのが、木原共のAIゲーム作品。《あなたをプレイするのはなに?― ありうる人生たちのゲーム》は、ゲーム筐体+ゲームソフト+ローカル大規模言語モデルという形で、鑑賞というより“プレイ”で作品に入っていきます。
プレイしていみましたが、堅実な選択をしているつもりでしたが、よくなさそうな未来に進んでいき、かといって博打な選択が上手くいくかどうかはわからないので、人生の正解を探す大変さを感じました。選択肢を選ぶのは簡単なのに、選んだ瞬間に“別の人生”は閉じていくところがあたりまえだとわかっていても心に響きました。みどころ解説でも、この作品がAIを用いた人生シミュレーションを通じて「人生の選択の不可逆性」を示す、と明確に書かれていて、まさにそこが核心だと思いました。
展示全体のテーマが「時間」だからこそ、この作品は“時計で測れない時間”を突きつけてくる。人生の時間って、巻き戻せないし、セーブもできない。ゲームの形式を借りて、逆にそれを逃げられない形で見せてくるのが上手かったです。

3点目:《MITTAG》(和田礼治郎)
最後は和田礼治郎《MITTAG》。素材がガラス、真鍮、ブロンズ、ブランデーという時点で、もう“時間の保存”の匂いがする。透明な構造の中に琥珀色が溜まっていて、見る角度で「液体の水平」と「自分の目線」がズレるのが気持ち悪いくらい面白いです。
みどころ解説では、この作品がブランデーを用いた立体で「永遠と刹那」「無限と有限」といった時間概念を探求している、と書かれていました。お酒って、飲むと消えますが、熟成すると価値が増します。減っていくのに、時間が増えているみたいな矛盾があって、だからこそ“永遠っぽさ”が立ち上がると感じます。
展示的には《MITTAG》が初めの方でしたが、《水中の月》を見ているときにも《水中の月》は「いま」に沈める作品で、《MITTAG》は「溜めていく時間」の像のように感じていました。

最後に
「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」は、現代アートを“わかった気”で観させない展覧会でした。時間をテーマにしながら、泡の一回性、選択の不可逆性、熟成の矛盾みたいに、違う種類の時間がぶつかってくる。気づくと、自分の生活の時間感覚まで少し揺れてます。
“時間ってなんだっけ?”を、深く考えたい人に刺さる展示だと思いました。会期はあと少しなので気になった方はすぐ予約していってください!!



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